兵士と人魚




人魚が泳いでいました。
長い髪をなびかせて。
魚の様な足で、水の中を躍るように泳ぎながら。


 兵士はそんな夢を見ていました。
飛び交う銃弾の下、行きたくなかった戦場に無理に連れてこられ、与えられた大きな銃を携えたまま、そんな夢を見ていました。
 その夢は、銃声と号令にかき消され、兵士は必死になって恐怖を押さえ込みながら前にいる敵の方へと、仲間と一緒に掛けていきます。
銃の引き金を引くたびに前の穴から鉛玉が飛び出し、後ろへは反動がかかり手から離れそうになりました。
前へ飛ぶ銃弾は、地面や土嚢に深々と刺さり、それに当たった敵の兵士は血の海を流し出し、倒れていきました。味方の兵士もまた、血をおびただしく流し出し、倒れ、少しだけ動いた後、動きを止めました。
 夢の中とは全く違う、赤い塩味の海が散乱します。

 夢を見ていた兵士は、まだ銃をかまえ、勇敢に戦っていました。
悲痛な顔で、戦っていました。
いろいろな感情を忘れ、さっきまで見ていた夢まで忘れ、兵士は銃弾を撃ち続けていました。
兵士はまだ生きていました。
でも、大きな音がしました。






 気がついた時、不思議な所にいました。
やや青みがかり、少し暗い所でした。
それは人魚の夢の海を思い出いだされます。
体が、やけに自由に動いたのです。前後左右だけではなく、上下にまで自由に動いたのです。まるで水の中のように。
 ぼうっとしていた頭が少しずつはっきりしてくると、髪はしなやかに伸びており、足は魚の尾ひれのようになっていました。
兵士は人魚になっていたのです。

 またどこかで眠っていて、あの夢の続きを見ているのかとも思いました。でも、さっきまでのあの戦場の方こそが夢のように感じました。
全てを忘れて、勇敢に戦っていたあの戦場は、何かの作り事のようでした。
服や銃を手放し一糸まとわないまま、静かな海に一人いる今、この時こそが本当の現実だと、なぜだか確信を持てました。
 多分終ったのです。
あの大きな音がした時、全てが。
兵士の全てが。
兵士の持っていた、感情や思い出もみな。
終ったのです。


 あの夢は現実だったのでしょう。
 兵士は、気づく間もなく大砲に撃たれ、その姿は跡形もなく消し飛びました。
戦争は終わり、故郷ではやがて葬儀が執り行われました。
共にいなくなった、味方と敵の兵士たちと共に大きな社に奉られました。
 でも人魚には、元兵士だった裸の人魚には、何の関係もありません。
ただずっと、海の中泳いでいました。
 どこが上で下で左なのか右なのかわからなくなったこのままで、少し微笑んでいるそのままで、人魚は泳ぎました。
果て無く泳ぎ続け、海の水の感触に酔いしれ、ふとどこからか、声がしたのを聞きました。
 人魚にはその方向に何があるのかはわかりません。でも、何がいるのかはわかりました。
それはおそらく、人魚たちでしょうから。


 そして、その人魚はここよりも青く暗い、その海へと泳ぎ出しました。
その海の中へと、消えていきました。


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